大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第二小法廷 昭和62年(あ)644号 決定 1988年4月28日

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人永沢徹の上告趣意のうち、判例違反をいう点は、所論引用の各判例はいずれも事案を異にして本件に適切でなく、その余は、単なる法令違反の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

なお、所論にかんがみ職権で判断するに、道路交通法四二条によれば、車両等が同条一号にいう「左右の見とおしがきかない交差点」に入ろうとする場合には、当該交差点において交通整理が行われているとき及び優先道路を通行しているときを除き、徐行しなければならないのであつて、右車両等の進行している道路がそれと交差する道路に比して幅員が明らかに広いときであつても、徐行義務は免除されないものと解するのが相当である。

よつて、刑訴法四一四条、三八六条一項三号、一八一条一項但書により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官香川保一 裁判官牧圭次 裁判官島谷六郎 裁判官藤島昭裁判官奥野久之)

弁護人永沢徹の上告趣意(昭和六二年七月二七日付)

第一、被告人に対する前記被告事件につき名古屋高等裁判所金沢支部は昭和六二年四月二八日被告を懲役四月及び罰金五万円に処する旨の判決を言い渡したが、かかる判決中、第一審判決判示第四の事実を認定して、被告人を罰金五万円に処した部分は最高裁判所の判例と相反する判断をしたものであり、刑事訴訟法第四〇五条第二号により取り消されるべきである。

すなわち、原判決は、第一審判決判示第四において被告人の徐行して前方左右の安全を確認して通行すべき業務上の注意義務を肯定し、被告人に過失犯の罪責を認めたことに法令適用の誤りがあるものとはいえないとしているが、かかる判断は、以下のとおり明らかに最高裁判所の判例に相反するものである。

本件事案は、第一審判決の事実認定の補足説明等に記載のとおり、被告人車の通行していた道路(以下A道路という)は幅員約1.5メートルの歩道があり、車道の幅員約5.5メートルで国道のバイパス的存在の幹線たる県道であるのに対して、被害車両の進行してきた道路(以下B道路という)は歩車道の区別のない幅員約4.15メートルの農道を改良したような間道であって、A道路はB道路よりも幅員が明らかに広い道路であり、しかもA道路は本件事故後に正式に道路交通法第三六条第二項の優先道路の指定を受けた程交通量が、B道路に比し格段に多い状況のもとにあって、B道路の本件交差点入口には一時停止の標識が設置され、白線で停止線が引かれていたにもかかわらず、B道路を進行して本件交差点に進入しようとした被害車両が一時停止を懈怠したのみならず減速はもとより左右確認もせずに漫然とA道路に進入したために発生した事故である。

前記交差点付近の状況のもとで、A道路を通行していた被告人には道路交通法四二条一号に規定する徐行義務が免除されていたものと解すべきであり、被告人としては、特別な事情がない限り、これと交差するB道路から交差点に進入しようとする他の車両が交通法規を守り、交差点で一時停止をすることを信頼して運転すれば足り、あえて被害車両の如く左右確認、徐行等すら行わずに通常の速度で交差点に進入しようとする車両のありうることまでも予想してこれと交差するB道路の交通の安全を確認し、もって事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務まではなかったといえるのであって、これについては被告人は過失責任を負わないものと解するべきである。

かかる理は、貴庁の諸判例においても肯定されてきているところである。すなわち、貴庁第三小法廷昭和四五年一二月二二日判決(判例タイムズ二六一号二六五頁)においても、「交差する道路(優先道路を除く)の幅員より明らかに広い幅員の道路から交通整理の行われていない交差点に進入しようとする自動車運転者は、自己が制限速度を超えた時速八〇キロで運転していたとしても、交差する右方道路から交差点に進入しようとする車両等が交差点の入口で徐行し、かつ自車の進行を妨げないように一時停止するなどの措置に出るであろうことを信頼して交差点に進入すれば足り、あえて交通法規に違反して交差点に進入し無謀に自車の前を横切る車両のありうることまでも予想して、減速徐行するなどの注意義務はない。」と判断されており、また貴庁第三小法廷昭和四三年一二月一七日判決(刑集第二二巻一三号一五二五頁)においても、「交通整理の行われていない左右の見通しのきかない交差点で他方の道路から入口に一時停止の道路標識及び停止線の表示があるものに進入しようとする自動車運転者としては、あえて交通法規に違反し、高速度で交差点を突破しようとする車両のありうることまでも予想して、他方の道路に対する安全を確認し、もって事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務はない。」とされ、さらに下級審においても「一時停止の標識のある道路との交差点に進入する場合には、右道路から来る車両が交通法規を守り、標識に従って一時停止することを信頼して運転すれば足り、あえて交通法規に違反し、自車の前面を突破しようとする車両のありうることまでも予測し、これを避譲すべき義務はない。」(大阪高裁昭和四三年一二月七日判決、下級刑集九巻一二号一四九七頁)等多数の判例により支持されているところである。

第二、さらに原判決は刑法二一一条後段の過失の認定及び信頼の原則の適用につき、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反をしており、原判決は刑事訴訟法第四一一条第一号により破棄されなければならない。

すなわち、第一審判決及び原判決は、昭和四六年法律第九八号による道路交通法四二条の改正を根拠にして、広路通行車についても優先道路通行の場合を除いては徐行義務が免除されないとして、本件において形式的にA道路が優先道路の指定を受けていなかったことのみを論拠として被告人の過失責任を肯定しているようである。本件当時においても、A道路を通行する被告人には徐行の義務はなかったことは前記一に記載のとおりであるが、仮に道路交通法上の徐行義務が認められるとしてもなお、被告人には、本件事故の発生につき過失がなかったものと解すべきである。

いうまでもなく、刑法第二一一条の過失の有無の判断は単に道路交通法の規定の形式的違反の存在によって直ちになされるべきものではなく、あくまでも具体的事実関係を前提にした個別的な判断がなされなければならないところ、中央線が引かれていなかったことを除き交差点の状況は本件事故当時も現在も何等変わるところがないのであって、証人福沢二郎の第一審における供述においてもA道路を通行する車両は本件交差点において徐行していないのが現実であること及びA道路とB道路の交通量の格差を併せ考えれば、A道路を通行する被告人は、A道路から来る車両が交通法規を守り、標識に従って一時停止することを信頼して運転すれば足り、あえて本件被害者の如き、交通法規に違反し、自車の前面を突破しようとする車両のありうることまでも予想して、B道路に対する安全を確認し、もって事故の発生を未然に防止するまでの業務上の注意義務はないと考えるべきであって原判決の誤りは明らかであるので、速やかに破棄されなければならない。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例